時給900円の普通のママから起業して
3ヶ月で月商85万→
月商200万→
月商450万→
年商5000万
2歳7歳9歳13歳
の子どもを育てながら
おうちで会社を経営する
起業・集客コンサルタント
日本総合コンサルティング株式会社
代表取締役
小桧山(こひやま)美由紀です。
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【過去の話1】私のこと
【過去の話2】私のこと〜高3〜
【過去の話3】私のこと〜留学編〜
【過去の話4】私のこと〜高3・短大〜
【過去の話5】私のこと〜妊娠〜
【過去の話6】私のこと〜地震〜
【過去の話7】〜松山へ転勤〜
【過去の話8】〜ママ友関係〜
【過去の話9】ママ友からの離脱
【私のこと10】夫の起業(破滅)
前回の続き
そして私が出した答えは・・・
「無理!」
反対だった
無理でしょ普通に考えて
「無理無理無理無理」
「転職して」
もはや私のお得意の必殺技のような
「転職して」セリフを言い放った
そもそも
私がこんなに大変な
思いをしているのは何でなんだ?
お金に余裕もない
転勤ばかり
一体誰のせいなんだ?
私の中では
”夫のせい”で
”私はこんなことになっている”
それ以外、考えられなかった。
『自分は頑張ることを一切せずに
人任せ、人のせいにする』
これが起業前の私だった
今だったら確実に
「それなら自分が
起業すればいいじゃん!」
と思う
でもこの時は
そんなこと1mmも考えずに
思いつきもせずに
ただただ
「何で私ばっかりこんな目に・・・」
と思っていた。
私は再び、松山転勤前と同様に
夫の転職先を探し始めた。
どちらにしろ
愛媛での生活は終わる
もう滅多に来れないから
最後に出かけようと遠出をした
出かけた帰りの車で
子供達はすっかり寝てしまった
私は後部座席から夫と話していた
何を話したか
ほとんど覚えていない
でも、高速道路の
トンネルに差し掛かったところで
「じゃあやってみたらいいじゃん」
と起業にOKを
出したのだけは覚えている。
理由は覚えてない
でもこの判断は・・・
間違っていた
いや、
そもそもこれは
正しく言うと
「起業」ではなく
『友達から誘われた
友達のお母さんの会社で働く』
ということだった。
でも当時はそれに気づかず
私たちは”起業”の為に
『京都』へ引っ越した
ここはだいぶ
端折ることになるけど
先にも書いた通りこれは
『友達から誘われた
友達のお母さんの会社で働く』
ということだった。
それも月収6万で
更に私がボランティアとして
その人の運営していた
保育所のご飯を作る係になり
時には預かる子供たちを
私が公園に連れっていく係にもなった。
3ヶ月の長男と
3歳の次女を連れて
自分の子供だけでも大変なのに
ボランティアの子守、
ご飯係の日々
そしてふりかけを使って
おにぎりを作れば
「まぁ!もうこんなに
ふりかけがなくなってる!!
みゆきちゃん^^
うちのお米はふりかけなんか
かけなくても美味しいの^^」
と嫌味を言われ
「これ体にいいから
毎日飲んだ方が良いわよ。
飲んでみて」
と青汁を飲んだら
「飲みすぎなのよ!!!
これ1袋200円もするんだから!」
と激怒された。
これはどう思い返しても
どう解釈しても
本気で悪夢
そして4ヶ月耐えたある日
私は「もう無理」
とその人(夫の雇い主)と距離を置いた。
そしてその5ヶ月後
夫の起業は終了した。
会社が潰れたというわけではない
そもそもが「社員」のようなものだったんだから
単純に「退職した」
それが適切な言葉だったろう
(いまだにその会社はあるらしい)
月収6万の
フルタイム正社員と
ボランティアの子守
&食事係の日々
終了
その後私たちは
大阪に引っ越した。
大阪に引っ越した理由は
「子育て おすすめの町」
などと検索して
大阪府吹田市が
1番子育てしやすい町だと
書いてあることが多かったから。
実際吹田市に
住んでみて思うのは
子育てがしやすい町というより
『子供が異様に多い町』
という感じだった
とにかく学校だらけ
学校だらけの理由も
1つの学校に収まりきらなくなったから
新しい学校を建てたというものが多く
細い道路を挟んで
向かいに学校が
建っているところなんかもあった
多いところでは1学年で
9クラスもある学校もあった。
大阪での暮らしが始まった
大阪での暮らしは
前半が専業主婦だった
長女は小学校3年生から転入し
次女は幼稚園に入園した
長男は家で見ていて
ザ・専業主婦
の暮らしをしていた
吹田市は
とにかく転勤族が多く
大きな家もよく見かけたし
幼稚園にいるお母さんも
プチセレブが多かった
- パンにハマってて
パン屋巡りをしているの - あそこのケーキ屋さん
すごく美味しいよね
そんな風に
ちょっと私には合わない
ワンランク上の会話に
なかなかついていけず
私は『格差』を感じていた。
そして「格差」もだんだん
格差だけでは済まされず
『うちってこのままだと
将来厳しくない?』
という状態になってきた。
当時、
食べるものに
困るほどではなかった
普通にご飯も食べられていたし
月に1回は外食に行けた
習い事も1人1個までならできた
でもこれは
”今”の話であって
長男が幼稚園に入る頃には
既に厳しくなるのは
目に見えていた
このままじゃもはや
教育費なんて
絶対に無理なんじゃ・・・
そして私は
「働こう」
と保育園へ申し込みをした。
「働こう」
文字で書けば3文字
でも、
この3文字を決断するまでには
相当時間がかかった
「もっと夫が給料の高い仕事に
転職すればいいだけ」
と思っていた私にとって
「自分が行動する」
ということは頭になく
「月に8万プラスになる
給料の転職先を見つけるくらいなら
(もはやそんなところ見つからない)
自分が働いたほうが早い」
ということに気付くまでは
相当時間がかかった。
保育園に
申し込んでしばらくして
入所が決まった。
長男だけ保育園でも
次女が幼稚園のままでは
お迎えの15時前までしか
働けない。
通勤時間を考えると
働けるのは
10時〜14時がMAX
これじゃ保育園代にしかならないと思い
まだ年少の1年間しか
行ってない幼稚園を辞め
次女も年中から、
長男と一緒に保育園に入園した
そして仕事はすぐに・・・
見つかるわけがなかった。
どれくらい面接に落ちただろう?
タウンワークに
ボールペンで大きく丸をつけた会社は
何社あっただろう?
- 勤務時間
- 場所
- 時給
- 職種(事務)
条件に当てはまるものは全てマークした
が、結果は惨敗だった。
「子供が熱でたら預け先はありますか?」
「ないです」
全部の会社でこう聞かれ
全部の会社でないと答えた。
会社はお金を出して人を雇う
人手が必要だから人を雇う
だから急に休まれたら困るのだろう
そんなことはわかっている
でも、そんなことわかっても
大阪から千葉の母に預けられるわけもなく
私の答えは決まって
「預け先はありません」でした。
子供に熱が出た際は
病児保育という選択肢もありました。
でも私は、
熱が出たり体調が悪い時にまで
預けることに抵抗があったし
自分だって体調が悪い時は
家でゆっくり休みたいと思うからこそ
病児保育という選択肢は選ばず、
預け先はない
=子供が熱を出したら休みます
ということを選んだ。
私ってパートさえもできないんだ・・・
仕事が決まらない私は落ち込んだ
そんな月曜日
私はいつものように
100円ローソンまで自転車を走らせ
今週のタウンワークと
住宅情報誌、SUUMOをもらいに行くと
信じられない文字を目にした
次回に続く