【過去の話6】私のこと〜地震〜

時給900円の普通のママから起業して

3ヶ月で月商85万→
月商200万→
月商450万→
年商5000万

2歳7歳9歳13歳
の子どもを育てながら
おうちで会社を経営する
起業・集客コンサルタント

日本総合コンサルティング株式会社
代表取締役

小桧山(こひやま)美由紀です。

 

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【過去の話6】私のこと〜地震〜

 

前回の続き

 

突然家が揺れた
3.11東日本大震災だった

 

今まで感じたことが
ないくらいの揺れ

私は急いで
ベッドで寝ていた
0歳次女を抱き上げた

今までに感じたことがない揺れに
「もしかしたら外は大丈夫かも」
という期待を持って

 

 

次女を抱っこしている
もう片方の手で
たった6畳しかない
リビングの小さな窓を開ける

 

窓の外は
期待を裏切るかのように
木々が揺れ、地面が揺れ
ものすごい大きな揺れが続いた

一体何が起きたんだ?

 

いつもだったら
すぐに静まる地震

今日はずっと続く揺れ
今までに感じたことがないくらい大きさで

「いつまで揺れ続けるんだ・・・」
「私は今どうしたら良いんだ?」

家にいた方が良いのか
それとも外に出た方が良いのか
わからなかった

 

 

キッチンからは
棚の上に置いてあった
ボールやザルがバタンバタン落ちていた

それでもどうしたら良いか
わからなかった・・・

 

ふと時計を見たら
長女の幼稚園お迎え時間
が近づいていた

 

「このまま家を出て、
そのまま迎えに行こう」

そう思い、
次女を抱っこ紐で抱き

自転車の鍵を持って家を出た。

靴を履いている時、
揺れは一旦止まった

自転車置き場に着くと
郵便局員さんがいた
ポストに手紙を配送にきたのだ

 

 

私は
「こ、こんにちは・・・」
と言った

何か会話がしたかった
「今の凄かったですよね」とか
「もう大丈夫なんですかね」とか
少しでも安心したかったから

郵便局員さんは
「こんにちは^^」
と笑顔で返してくれた。

 

まるで今の地震なんか
なかったかのような
爽やかな笑顔

地震のことには
一切触れないポストさばき

 

私は思った
「もしかして
今の地震は私の勘違いか?」

私だけが揺れていたんだろうか
いやそれはない

いやでも、
もしあの地震が本当なら
郵便局員さんは
もっと慌てていたはず。

やっぱり私だけ・・・?

そんな風に思いながら
自転車で道に出た

 

 

いつもと変わらない道
いつもと変わらない景色
やっぱり私の勘違い・・・?

そう思った瞬間
また揺れた

 

間違いじゃない
これはやっぱり本物だ

いつもと同じお迎えの道
いつも通るボロい一軒家の
目の前でちょうど地震は発生した

揺れる
揺れる
揺れる
揺れすぎている

一軒家なのに
家がめちゃくちゃ揺れている

 

私は自転車に乗りながら
そのボロい一軒家を見て
この先どうなるのだろう
という恐怖に襲われた

 

 

道にいるいわゆる
井戸端会議のおばさん達が慌て出す

とにかく私は自転車を走らせた
「早くお迎えに行かないと」
「早くこの手で守らないと」

 

バス停に着き、
幼稚園バスの到着を待つ

しばらくして
バスが到着し

先生からは
「幼稚園でバスを待っている時に地震が来て
 皆で園庭に集まったんです。
 〇〇ちゃんのお母さんと一緒に泣いてました」
と言われました。

長女はバス通園ではなく、
自家用車通園のお母さんと一緒に
無事避難できていて、
でも恐怖で泣いていた
とのことだった。

 

急いで家に帰ろう
私は自転車の後ろカゴに長女を乗せ
急いでまた自転車に乗って走った

 

家に着くまでは
自転車でわずか5分ほど

家に着き、
自転車置き場に自転車を停め
玄関に入り
「今からどうしたら良いのだろう?」
と思った。

 

家の中はまだ
ボールやザルが落ちた状態
他にも色々なものが
棚から落ちていた

その時ちょうど
携帯が鳴った
母からだった

「大丈夫?今から行くね」

隣駅に住む母が心配して
自転車で駆けつけて来てくれた。

 

母が来てくれるまでも、
来てからも
地震はちょくちょく続いていた

1番最初の揺れほどじゃなかったけど
震度3〜4くらいの地震が
頻繁に起き続けた

1番最初の大きな地震は
震度5強

私はこれまで
震度3〜4くらいは
経験したことがあっても
震度がたった1上がるだけで
こんなにも揺れは大きく違うのかと
本当に怖くなった

 

 

当時を知る人は
覚えているかもしれないが
大きな地震が発生した影響で
電車は止まり、タクシーもなくなり
都心では「帰宅困難者」が多発した

 

千葉から東京の会社へ
通っていた夫もまさに
『帰宅困難者』になった

夫からは
「今皆でネットニュースを
 見たりしているけど
 帰る方法がなさそう。
 今日は会社に泊まる」
という旨の電話がきた。

母は心配して
その日はうちに泊まってくれ
私たちは地震の中
1つの部屋で寝た。

 

翌日夫は
帰宅することができた。

余震はその後も数日続き
原発事故で計画停電も始まった

 

計画停電とは
電気の供給が足りなくならないよう
計画的に電気の消費を抑えるために
一定の地域で停電
(電気を使えない状態)を起こすこと。

当時の私の地域も
何時から何時までは
全く電気が使えない
という状態が何日か続いた。

 

電気というのは
何も家の中だけではない
計画停電の時間帯は信号もつかない
道路を渡る時怖かったのを覚えている

 

地震があったのは3月11日
春といってもまだまだ寒い

計画停電の間は
当然エアコンも使えず
その時間帯は
毛布にくるまって過ごしていた

 

続く余震、計画停電、
ニュースでは連日
緊急速報が流れっぱなしの
状態が続いた

そんな時
私はふとあることを思い出した

「そう言えば、面接は?
 新しい会社の面接ってどうなるの?」

 

夫が面接を受ける予定の
会社に問い合わせても回答はない
きっとそれどころじゃないんだろう

もっとゆっくり待つ時間があれば
もしかしたら返事は来たかもしれない
でも私たちには時間がなかった

夫の会社に
転勤するか否かの
回答期限が明日に迫っていたからだ

転勤するか否かの回答というのは
つまり

  • 会社の言う通りに転勤するか
  • 会社に意見はできないから
    退職するか

このどちらかだった

 

職を失っては
生活ができない

私たちは結局
『転勤』を選んだ

 

 

生まれてから24年間
一度も地元を
離れたことがなかった

知らない土地に住みたい
と思ったこともなかったし
地元が1番、
知り合いがいる場所が
安心と考えていた私にとって
これは本当に苦渋の決断だった

 

数日たち、
地震は次第に収まり
私は引っ越しと転勤に向けて
準備をしだした。

当時次女は生後6ヶ月

転勤先の松山(愛媛)に行くには
飛行機しかない

私は子どもたちを連れて
日帰りで行くのは厳しいと判断し、
転勤先の家の内覧も
幼稚園の下見なども
夫が一人で行ってきた。

 

引っ越しの3日前
まだ荷物がまとまりきらず
バタバタしている私の代わりに

あのみゆっぴょと声をかけてくれた
高校時代の友達が
長女をアンパンマンミュージアム
連れていってくれた

あの友達も私より早く
2児のママになっていた。

 

アンパンマンミュージアムから
帰ってきた長女を
駅まで迎えに行く

途中でカメラ屋さんに
寄ってくれたのかな
手にはアンパンマンミュージアムで
撮った写真の袋があった

写真を見て
”思い出”という感じがして
私、本当に引っ越すんだ
と実感がこみ上げ
に溢れた

 

引っ越しの2日前
私たちは翌日の飛行機のことを考え
品川のホテルに泊まることになった

会社がホテル代を出してくれるということで
私は滅多に泊まれなさそうな
品川プリンスホテルを予約した

 

 

引っ越し前日
夕方から仕事の母が、
仕事前に私たちを
見送ってくれるとのことで
私は実家へ向かった。

 

実家を出るのは
お昼すぎだったから
夕食を食べるには早い。

夫は送別会で
ホテルに到着するのは夜中。

 

母は私1人で
生後6ヶ月と4歳を連れて
外食に行くのは大変だろうと思い
夕食作ってくれ、
それを私がタッパーに詰めた

いつもより豪華な夕食
いつもと同じじゃない雰囲気

本当に最後なんだなと思った

 

夕食を詰め終わり
私たちはホテルに向かう為
電車に乗った

赤ちゃんを抱っこし
荷物を抱え夕飯を持ち
電車で揺られながら、
秋葉原で山の手線に乗り換え
品川に着いた

チェックインをして
ホテルの部屋に着くと
母は仕事のため、
駆け足でまた駅へ引き返した。

 

 

ホテルの部屋に着いた時、
次女は寝ていた

私は長女と話をしたりして
それから早めの夕飯を食べた

小さな丸いテーブルに
おかずを並べる
おにぎりを出して長女に渡す

涙が溢れた

忙しい中、
夕飯を作ってくれたこと
仕事ギリギリなのに、
ホテルまで送ってくれたこと
母の愛情に涙が溢れた

次回に続く

 

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■小桧山美由紀プロフィール■

■日本総合コンサルティング株式会社代表取締役
起業・集客コンサルタント

1985年生まれ、千葉県市川市出身

2006年生まれの長女
2010年生まれの次女
2013年生まれの長男
2017年生まれの三女を育てる4児の母

短大卒業後すぐに20歳で長女を出産。
24歳で次女を出産し、夫の転勤により愛媛へ。

27歳で長男を出産した後、京都、大阪、名古屋と転勤を繰り返し、
孤独な専業主婦生活を送る。

30歳の時、長男の保育園が内定したことを機に
時.給900円の事務のパートを始める。

31歳の時、友達から「このブログ見て!」と
某有名起業家のブログURLが記載された一通のLINEが届き
初めて起業の世界を知る。

「あの時やっぱりやっておけばよかった」と
不満・後悔ばかりの人生を変えたくて

時給900円のパートを続けながら起業を決意し
開始直後に4度目の転勤で名古屋へ引っ越しながらも

ビジネスを学び始めて3ヶ月で月商85万、
その後月商200万→月商450万→年商5000万

子どもが風邪をひいても
いつでも家にいてあげたい
学校からの帰宅を家で待ちたいという想いから、
コンサルはzoom・LINE電話・動画を使った完全自宅style。

北海道から沖縄、更にはドイツやアメリカ、シンガポール、タイ、アイルランドなど
国内外問わず2000名以上の起業家・サロン経営者・起業志望者へコンサルし
多くのママを月商150万、月商200万、月商300万、月商400万、
月商450万、月商640万、月商1500万、年商2500万、年商3000万etc..に育てあげる。

コンサルタントとして活動する傍
32歳で三女を出産。

現在は
♦︎コンサルタントとして本を出版し発売1週間で大手書店5店舗でベストセラー入り

♦︎13ヶ月連続満員御礼でブログ集客・文章術セミナーを開催

♦︎1期~7期まで全て
一般募集無しの先行案内・先行案内前に満員御礼
オンラインママ起業塾主宰

♦︎クライアント100名超えのママの為の起業スクール代表

♦︎4人の子どもをワンオペ育児×起業=年商5000万

♦︎マレーシアにて親子留学移住

ABOUTこの記事をかいた人

【 普通のママだからこそ、起業で人生を変える】 起業・集客コンサルタント 子供と一緒に自宅で学ぶ オンラインママ起業塾主宰。 時給900円の普通のママから起業して 11歳7歳5歳0歳の子供を育てながら 0歳の子供と一緒に自宅で起業コンサル ビジネスを学んで3ヶ月で月商85万 その2ヶ月後に月商200万、翌年月商450万達成。 顧客0からわずか1年半の間に、 国内外問わず200名以上へコンサル実績。