時給900円の普通のママから起業して
3ヶ月で月商85万→
月商200万→
月商450万→
年商5000万
2歳7歳9歳13歳
の子どもを育てながら
おうちで会社を経営する
起業・集客コンサルタント
日本総合コンサルティング株式会社
代表取締役
小桧山(こひやま)美由紀です。
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【過去の話1】私のこと
今日は私の過去の話を
していこうかなと思います。
私はこれまで
時給900円のパートをしていたことは
ブログでもお話ししていましたが
それ以外の細かい話なんかは
これまであまりブログに書いてきませんでした。
なぜか?
私は自分に自信がないからです。
すごい!って言われることもなければ
いいなー!と思われるところもない
だからそんな私が自分の過去の話を書いても
ただのダメ人間さを晒すだけで
誰かに馬鹿にされたり
過去を思い出して書いているうちに
惨めにな気持ちになったり
余計に自信もなくなるに決まってる
そう思って
私は自分の過去について
細かく話してきたことは
ありませんでした。
しかし、私自身
そんな自信もない、
憧れられるところもない生き方から
起業したことで
「私もそんな風になりたいです!」
「憧れてます」
「素敵です」
と夢にも思わないような
言葉をかけられる人生になりました。
今まで褒められることも
憧れられることも決してなかった人生
それを表すかのように
私は起業した後、
初めて「憧れてます!」と言われた時には
冗談だと思い
むしろ馬鹿にされているのか
わざとなのか
と疑ってしまうくらい
自分でも変われたことが
信じられませんでした。
私は過去の自分が大嫌いだった
でも、
私はそこから
起業したことで
- お金がない、
- 子供にかけられるお金も少ない、
- 将来どうやって学費を出そう・・・
と悩む日々から変わり
朝から夕方まで
会社に拘束され、
疲れ果てたまま
子供たちをお迎えに行くような
時間に追われることも
夫の仕事の都合で
何度も転勤を強いられる
住む場所の縛りもなくなり
子供4人を連れて
家族で親子留学しに海外移住する
お金にも時間にも
場所にも心にも
大きな余裕のある
想像以上な人生を
手に入れることができました。
起業前は、
もし宝くじに当たったら・・・
と当選後の使い道を
考えることが大好きで
でも現実は
宝くじを買うことさえもしない。
そんな、
「変わりたい」けど
「チャンス」さえも
掴もうと動き出さなかった私が
本気で人生を変えたい
と思えたことで
起業するという
一歩を踏み出すことができました。
自信のなかった
嫌いだった過去も
「あの時があったから
今の私がある」
「あの時苦労したおかげで
本気で変わりたいと思えた」
過去の経験があって良かった
と思えるまでになった
過去は変えたくても
変えることはできない。
でも、
過去への『印象』は
今の自分が幸せなら
「あんなときもあったよね」
と懐かしむことも
できるようになる。
今が幸せなら
過去はもう関係ない
私はそう思えたから
今日初めて過去について
少しずつ話していきたいと思います。
私は1985年千葉県に生まれ
幼稚園から高校まで
地元千葉の学校に通いました。
特に勉強が好きなわけではなく
将来何になりたいという
夢があったわけでもなかったので
実は高3の秋くらいまで
進路を何も考えずに生きていました。
そもそも私は
高2の3学期から高3の2学期まで
ほぼ学校に行っていなくて
ずっと家の中で引きこもって
オンラインゲームをやっていました。
というのも高2の2学期から
急にいじめられるように
なったからです。
いじめと言っても
漫画のようにトイレで水をぶっかけられたり
机に落書きされたりそう言うのではありません
単純に無視される
ただこれだけです。
ことの発端は高2の時
当時私は、
私を含めた6人グループで
いつもお弁当を食べたり遊んだり
仲良くしていました。
ある日体育の授業で
創作ダンスが行われ
この6人グループで
チームを組んで
作品を作ることになりました。
何回か創作ダンスの授業があって
「じゃあ次回発表ね」
となったある日
まだ完成していない
私たちのグループの1人が
発表当日の朝に突然メールで
「今日7時半に学校集合して仕上げよう」
とチームに一斉送信しました。
しかし・・・
私にはそのメールが
届かなかったのです。
同じ世代の方ならわかるかもしれないですが
当時のメール機能は電波が悪いと
『センターに入る』
という状況が多々ありました。
メール送信から受信までの仕組みが
送信者→センター→受信者
と言う流れだったので
受信者の電波が悪いと
センターにメールが
保管された状態になり
『センター問い合わせ』ボタンを押すか
その後誰かが
メールを送ってきたときに
一緒にくっついて受信する以外
メールが受信できない
仕組みでした。
この場合、
メール送信者の認識は
『送信した』
メール受信者の認識は
『受診してない』
という状態
センター問い合わせボタンは
そんな頻繁に
ぽちぽちするような
ボタンじゃありません。
まして
朝の忙しい時間にわざわざ
センター問い合わせ
することなんかありませんし
特にメールが来てる
わけでもなかった私は
普通に支度をし、
いつも通りの時間に
学校へ行きました。
校門をくぐり、
自転車置き場に自転車を置き
歩いて昇降口に向かう。
下駄箱で靴を脱いで
上履きに履き替え
4階の教室まで階段を上がる
いつも通りの学校
皆がワーワー喋る
朝教室に入ると
いつも仲の良いグループの皆は
なぜか体操服に着替えていて
あれ?なんで体操服?
と思ったけど
私は普通に
「おはよう」と皆言いました。
しかし・・・
いつも仲良いはずの友達は
誰1人として
「おはよう」と言う返事を
してくれませんでした。
昨日までは普通に
仲良く喋ってた普通の友達
でも今はなぜかおはようという言葉を
明らかに無視されている私
一体何が起きたのか
今の状況が何なのか
私にはわかりませんでした。
そしてその仲の良かった
グループのうちの1人が
皆の見えないところでこっそり
「こっひーどうして今日こなかったの?
皆怒ってるよ」
と私に教えてくれました。
「何に怒っているの?」と聞くと
「朝創作ダンスを仕上げるから
7時半に来てと送ったのに何でこなかったの?」と
私は「え、メールなんか来てないよ」
とは言っても、
友達の携帯には
その7時半集合のメール宛先一覧に
私の名前も入っていたのです。
私はその時初めて、
メールがセンターに入っていること
今日は皆が7時半に
集合していたことを知りました。
私は慌てて皆の机のところに行って
「ごめん!メールセンターに入ってて
今気づいた!」
そう言ったけど
その仲良しグループの
中心人物の子が1人
「は?嘘つくな」と
そしてもう1人その子と
1番仲の良い子が
「まじありえないし」と
同じクラスのそんな仲良くない人が
話を聞きつけてわざと大声で
「は?そんなことあったの?
まじでありえねー!!」
と言ってみたり
そんな感じで
私は一瞬にして
クラス中から
無視されることになりました。
女子って
移動教室の時
グループで固まって
動くんですよね。
当然その出来事は朝ですから
まだこれから長い長い
1日が始まります。
その日ももちろん
移動教室はあって
1人ポツンと移動教室の準備をしてた私に
同じグループだったうちの1人
(朝こっそり私に教えてくれた子)が
「こっひー一緒に行こう」
と言ってくれました。
「あ、うん・・・」
当然元気はない私に
それでも声をかけてくれたことで
少し助かった気持ちになった
その瞬間、後ろから
「〇〇(その子の名前)!
そんなやつ放っておいて行こうよ!!!」
と同じグループの子が大声で叫ぶ
その子が
「でも・・・」と言っても
「早くー!!」と呼び
キョロキョロ迷って
困ってるその子は
結局走って
そっちの方に行っていましたね。
そして、
移動教室も終わり
昼食の時間になりました。
普段だったら
机をくっつけて、
楽しくお喋りしながら
お弁当を食べて
というところですが
今日は1人・・・
のはずが、なぜか皆
いつも通り机だけは
私とくっつけ始めたんです。
でも喋らない。
一言も話しかけられない。
当然私も無視されるのが
わかっているので
一言も発しない
遠目はいつも通り
ご飯を食べている光景
でも実際は私だけが
無言で下を向いて食べ
他の皆は楽しく
ご飯を食べていると言う
生き地獄に近い光景でした。
学校帰りもいつも一緒に帰っていて
途中でショッピングモールに寄って
クレープ食べたり
プリクラ撮ったりお喋りしたり
そんな日も
今日からもうおしまい。
私は1人で家に帰りました。
家について部屋に入り
カバンを置き
まず思ったことは
「明日にはきっと皆の怒りも
収まるんじゃないか」
「明日はきっと普通に
喋ってくれるんじゃないか」
ということ。
元を正せばこれは
メールがセンターに入っていた
というだけの話し。
きっと皆はわかってくれる
明日は皆
「そうだったんだ!
なんだ早く言ってよ〜!」
ってわかってくれる
明日はきっと大丈夫
そう思って、
私は少し安心しました。
翌日、私はいつも通り学校へ行きました。
『今日は大丈夫』
心の中でそう信じて
でも「おはよう」は言わずに
ただ黙って自分の席に着きました。
いつもだったら話しかけてきてくれる
仲良しグループだった友達が
ふと私の机の前に来て