時給900円の普通のママから起業して
3ヶ月で月商85万→
月商200万→
月商450万→
年商5000万
2歳7歳9歳13歳
の子どもを育てながら
おうちで会社を経営する
起業・集客コンサルタント
日本総合コンサルティング株式会社
代表取締役
小桧山(こひやま)美由紀です。
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【過去の話5】私のこと〜妊娠〜
前回の続き
そんな私は
短大2年生の後期妊娠した。
悪阻
電車通学
授業
私にとってはかなり
過酷な日々だった
通学時間は電車で
1時間+徒歩30分
1時間ずっと電車に揺られてるのが
とにかく気持ち悪くて
私は電車の中では
寝るように心がけた。
授業中は、
よく授業を抜けて
3階の新校舎にある
誰もいないトイレで吐いていた。
私は食べ悪阻だったので
いつも学校でコーンポタージュを
自動販売機で買って
それを持って授業を受け
途中授業を抜けトイレに行く。
オタク×華の女子短大生ライフは
ポタージュ×トイレライフに
変わっていた。
私はいつしか
オンライゲームをしなくなった。
と言うか気持ち悪くて
学校に行くだけで
いっぱいいっぱいだった。
それでも、
ようやく短大後期まできて
あと数ヶ月なんだから
どうにか卒業だけはしたい
と学校へは通い続けた。
オンラインゲームに
ハマっていた時に
学校をサボっていないで
あの時もっと学校へ行って
単位を取っておけば良かった
と大後悔したのは言うまでもない。
もはや気合と意地でしか無かったが
とにかく死ぬ気で学校へ通い
短大は無事卒業した
皆からは「寿卒業」と言われ
私は就活もせず、
卒業後、結婚した
結婚して、専業主婦になり
私はずっと家にいる日々が続いた。
卒業まではずっと
毎日学校へ行っていたので
卒業して結婚してから
一気に誰とも喋らない
1人ぼっちの日々が続いた
短大時代の
友達に電話してみるものの
皆は華の新社会人
忙しくて電話に出てくれない
友達もいれば
「え〜!結婚ってそんななの?」
と少しだけ相手をしてくれる友達もいた。
そんなある日、
久しぶりに皆で
新宿に集まることになった。
久しぶりに人と話せる!
ウキウキして新宿に向かい
お店に入ると
少し大人な雰囲気の
落ち着いた化粧になった皆がいた
なんだか自分だけ置いてかれた気分
私はお店に入って少しそう思った。
「久しぶり〜!」
そんな感じでご飯を食べながら
皆の話を聞いてると
- 「最近会社でさ〜!」
- 「うちの会社ではね」
- 「うちの会社なんて〇〇で〜!」
正直、何の会話も
わからなかった。
社会人になった皆
社会人にならず
専業主婦になった私
話が全く合わなかった。
私はもっと、
赤ちゃんの話がしたかった
子育ての話とか、
赤ちゃん用品の話とかが聞きたかった
でも、当然ながら
そんな話誰一人として
できる人はいなかった。
話の合う人がいないな・・・
再び孤独な日々に戻った
こんな時こそ
オンラインゲーム!
今こそオンライゲームを
心置きなくできる!
はずではあるのだが
実はこの時はもう全く
オンラインゲームをやっていなかった。
と言うのこのオンライゲーム
私が始めた高校生の時は
無料だったのだが
短大を卒業する前あたりから
有料の月額制になった。
月額制になったことで
元々やっていた人たちの多くが
他のゲームにうつってしまい
中には辞めた人も大勢いて
私はあのオンライゲームの人たちと
一緒にやるのが楽しくて
ただゲームがしたいわけではなかったから
もうオンライゲームをすることも無かった
出産して、専業ママになり・・・
そして私は社会と隔たれた。
私は
人と関わりたく無い
と思いながらも
常に人との繋がりを求めていた。
結局、人は一人じゃ
生きられない。辛いことも、楽しいことも
人と共有してこそ
人生は有意義になると思う。
私が今起業して
コンサルタントをしてやっているのも
人から「ありがとう」と
言われることが嬉しくて
家族が喜んでくれることが嬉しくて
ずっとずっと続けている。過去の私のような人も
起業したらこんなに人生が楽しくなる
そうしたらきっとその人も喜んでくれるそんな風に思うからこそ
ここまで続けてこられた。
もしこれが誰一人として
喜んでくれなくて
自分が一生懸命やっても
誰も知らんぷりならきっと私はここまで
続いていなかっただろうな。私はそんなに強い人間でもないし
自尊心に溢れる人間でもない。人と関わり
ありがとうと言われることで
初めて自尊心が芽生え
私みたいになりたいと言われることで
初めて自分に自信が持てた誰と関わるか
どんな人と繋がるかは本当に大切
出産して、
専業ママになり
社会と隔たれてからも
私は、誰か話の合う
友達はいないか
どこか友達を作れる場所は
ないかと色々探していた。
そして見つけた
場所がmixi
今じゃかなり懐かしいこのSNS
私は当時かなり
mixiに救われた
当時は今のインスタくらい
誰もがやっているSNSがmixiで
そこでは色々な
コミュニティーが作られたいた。
私は20代出産や、
1人目育児、地域別ママなどの
子育てコミュニティーにポチッと参加し
その中から自分の住んでいる
地域に近いママ友を探した。
さすが流行りのmixiとあって
自分の近くのママ友がわんさか見つかる
更に自分と同じような状況の
20代前半のママがどんどん見つかる
- 話も合う
- 子供の話もできる
私にとって最高のママ友が何人もでき
私はmixiでできたママ友と
ランチに行ったり、
ショッピングに行ったり、
おうちに行ったり
すごく楽しい日々を送っていた。
しかし、その頃から少しずつ
自分と他の子の家庭の金銭事情に
違いがあることに気づき始めた
- 遊びに行くとケーキが出てくる
- おうちは綺麗な分譲型マンション
- 一緒にショッピングに行けば
「遅くなっちゃったから惣菜買って帰ろ〜」
と言うママ友
「遊びに行く手土産はポテチじゃないのか」
「20代の家庭はアパート住まいじゃないのか」
「惣菜なんて高いもの買えるんだ」
明らかにうちよりお金がある
明らかにうちの方がお金がない
この頃友達になった1人のママ友からは
「みゆきっていつも
お金ないって言ってるよね 笑」
と言われていた。
だった本当にないんだもん。
口から出ちゃったよ
そこから時が過ぎ
2人目が生まれた
相変わらずお金はないけど
とりあえず食べるものに
困るほどでは無かった。
家は狭くて駅からは遠いけど
アパートからマンションに
引っ越すこともできた。
そんなある日、
夫から1本の電話がかかってくる
「転勤になった。松山」
転勤・・・?
転勤とはなんぞや・・・
転勤のない家庭で育った私には
すぐに理解できなかった。
何で会社に住む場所を
決められるんだろう?
何で自分の人生なのに
会社の言いなりなんだろう?
この時、私は本当に理解できずに
「いや、私は行かない。転職して」
と答えた。
私は生まれてこの方1度も
地元を離れて住んだことがない。
この地から引っ越すなんて考えられないし
そんなつもりも全くない
幸い夫も、
転勤したいわけでもなく
転職先を探し始めた。
私も一緒に夫の(給料の高い)
仕事を探しを手伝い
その日から転職サイトを見まくった。
夫が興味のありそうな仕事
かつ、給料も良さそうな仕事を
いくつかピックアップする
3社くらい面接を受けることになって
1社目の面接日があと
1週間後に迫ったある日
突然家が揺れた
3.11東日本大震災だった
次回に続く